ダウンサイジングエンジン

フォルクスワーゲンが先鞭をつけ、日米欧のメーカー問わず導入に躍起になっているダウンサイジングエンジン。導入の最大の目的は燃費を良くすることです。ではその燃費が良くなる理屈とは。

それは一にも二にも排気量を下げているからです。排気量を下げれば同じ馬力を使った場合の熱効率は良くなる、言ってしまえばそれだけです。しかし排気量を下げればトルクも馬力もそれに応じて下がってしまうので過給をして下がった分を取り戻しているのです。

従来の過給エンジンは最高出力重視でした。ダウンサイジングエンジンでは最高出力にはそれほどこだわらずに低回転でのトルクを重視しています。最高出力は元のエンジンに劣っても、低回転でのトルクは元のエンジン以上に出すようなセッティングになっています。

ではどうして今までの過給エンジンではそれが出来なかったのでしょうか。それはガソリンエンジンの場合、過給をするとノッキング対策のために圧縮比を下げざるをえなかったのが大きな原因のひとつです。圧縮比を下げればエンジンの熱効率は下がってしまいます。ダウンサイジングエンジンでは燃料直噴によるアンチノック性の向上で圧縮比の下げ幅を従来よりも小さくしています。これで排気量を下げた効果がほぼ丸々燃費に効いてくるようになりました。

最後にどうして排気量を下げると燃費が良くなるのか、です。エンジンの熱効率自体は排気量の大小では大きく違いはありません。異なるのが「エンジンの最も効率の良い領域」で発生している馬力です。排気量が大きいと熱効率が最も良い領域で発生している馬力が大きくなります。したがって、日常的に使用頻度の高い領域と最も熱効率が高い領域の乖離が大きくなります。高速道路のような比較的大きめの馬力が必要な時にはその領域が接近し、燃費も良くなりますが、市街地ではその領域を使うことが出来ず燃費が悪くなります。排気量が小さくなれば小さな馬力でも効率的に取り出しやすくなります。しかしその一方で余裕がなくなり負荷が大きくなったときにエンジンの回転数を上げなければなりません。

効率を取れば余裕がなくなり、余裕を取れば効率が悪くなるという二律背反を克服する手段が過給ダウンサイジングです。

水からの伝言

今さらながら「水からの伝言」の話。
「水に綺麗な言葉をかけると綺麗な結晶が出来る」とかいう本で、これを道徳教育に使うことの是非がtwitterで話題になっていた。この本は科学的ではないというのが多くの人の意見であると思われる。私もそんな話はないと思う。ではこの本を道徳教育に使うことが良くないのは「自明」であるのかという話題で盛り上がっていた(と私は解釈した)。「科学的でないから」という意見が出ていたが、道徳教育では科学的ではない寓話もよく使われているので「科学的でない」ことを理由とするのは何かが欠けている。結論としては「道徳的ではない」からというのが一番しっくりと来る。人間には水が多く含まれているから綺麗な言葉を人間にも使いましょうでは道徳の話としては相応しくない。
水からの伝言」は科学ではないけれども、科学的であることは道徳教育に使って良いことの十分条件ではない。生物学が進歩して遺伝学的なことが多く解明されている。それを科学的に間違っていないからといって道徳の規範として良いかは別の問題であると思う。倫理学であるとかそういう領域に入ってくるのだと思うけど、果たして現在どうなっているのか私は知らない。それではまずいのだろうけど。